10月29日(日)午前9時半〜12時、鎌倉街道の小袋谷交差点から鶴岡八幡宮までを歩行者天国(緊急車両を除く)にして、円覚寺「洪鐘弁天祭」が行われました。「洪鐘」は円覚寺の山門を入って右手、階段を上った山上にある国宝の梵鐘のことで、「おおがね」と読むそうです。
祭列は午前9時半に建長寺山門前広場を出発、小袋谷交差点で小坂小学校校庭に参集していた江の島お囃子連や稚児行列隊、鎌倉もののふ隊などと合流したのち、折り返して円覚寺へ。メインは円覚寺に奉納する「洪鐘」ですが、お祭りに登場したのはこの夏休みに地元の小学生たちが作ったハリボテ、行列でその台車を曳いたのも地元の小学生と、「次の世代」に祭の記憶を引き継ぐ工夫が見えました。
Wikipediaによると、円覚寺は元寇戦没者の霊を弔うため、弘安五(1282)年に北条時宗が建立したとあります。その当時、関東に大きな梵鐘を鋳造する技術がなかったため失敗を繰り返したのですが、正安三(1301)年のこと、時宗の子で鎌倉第9代執権・北条時貞が江の島弁財天に参詣した折、弁財天の啓示を得て鋳造に成功したと伝わります。
啓示とは具体的にどのようなことだったのか分かりませんが、本郷台周辺に古代・中世の鍛治職人集団が居住していたことが確認されています。関東武者を支えた相州刀匠、鎌倉寺院の金銅製の仏像や装飾品の技術が時貞のときピークを迎えた、ということかもしれません。